入り口を意識させる狂育

 我々は基本、人生の選択を迫られた時、入り口の飾りや、デザイン、イメージばかりを気にして、その先の出口に何が待ってるかまでは想像しない。

 この学校に入れば、この会社に就けば、結婚すれば…など、とにかく入り口の門を突破すれば何とかなると言う淡い期待を抱いてまんまとその門に入る。

 なんでこんな思考に至ってしまうかって言うとやはり学校の狂育に問題がある。とにかく目の前の課題をやれと、子供の思考力を奪い子供の意志で選択させる事を避ける。10年先20年先の事を考えたら学校でやる勉強なんてたかが知れてる事ぐらい少しかんがえれば分かる事。けど、先生や親という絶対的な立場の人間からこれだけはやっといた方がいいと、あれをやれこれをやれと言われたら従う以外に選択は無いと考えるのが普通だ。従わなければこの先生きていけないかもと言う得体の知れない恐怖は子供にとって恐ろしく巨大なものだ。

 こんなふざけた狂育なんかやってると、何か用意されてるものに従えば生き残れるなんて依存的な考え方をしてしまう人が増えるのは当たり前だ。実際俺もかつてそんな考え方で生きてた。入り口の飾りを見て、ここを突破できれば後は全て俺ではない誰かが生活を導いてくれるだろうと。どうだろう?その門の先の道は面白いだろうか?少なくとも俺はその門を通るぐらいなら死んだほうがマシだと思ってしまう人間だ。

 この学校に行きたい。この会社に就きたい。恋愛したい。結婚したい。そんなこと言う前に自分の10年先20年先の事を考えていま自分は何がしたいか何をすべきかを考えて入口側から門を見ずに出口側から門を見てみるべきだと俺は思う。(そもそも入り口やら出口とか言う概念も好きじゃないが。)門を通過して暫くしてこんなはずじゃなかったと声を漏らす人を俺は何人も見てきた。俺もそれを味わった。

 後悔してから考えるのか、後悔する前に考えるか。それは自由だが、家族を作りたいと思ってる人は責めて自分の子供が18ぐらいになったときの事まで見据えて今の選択がどうあるべきかを考えて欲しい。

 そんな遠くの未来なんか分かりっこない。と思うかもしれないが、それは遠くの未来を考える癖が無いだけだ。こんな事やってなんの役に立つんだ?とよく分からない目の前の課題をひたすら勉強するよりもよっぽど楽しいはずだ。

 楽しく行きたいと思ってる人はとにかくやりたい事をやりまくって自分の道を開拓することをオススメする。はっきりとした入り口も出口も無い。けどそうやって自分の道を開拓した方が絶対楽しいじゃん。

Only KEISUKE ODA

人は必ず自分にしかない何かを持っている。 それを最大限活かさずして人生と言えるだろうか?

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