システムと言う歯車を手放す勇気
12/16㈯ 東大小柴ホールにて 一月万冊 清水さん主催の『不登校児の未来』というテーマでセミナーがありました。色々思った事とまとめみたいな感じで書こうと思います。
何故今の政治家は訳の分からないことばかりをしてしまってるか?その政治家を育てた教育とは?その教育が出来上がってしまった原因は?全ての元凶は何なのかを掘り下げて語るという非常に濃い内容でした。
今の教育と言うのは、人の生まれ持った感性や才能を徹底的に潰す事が目的になってしまっている。とにかく学校に行け!…いいから座って授業聞け!…家に帰ったらあれやれこれやれ!…習い事をしろ!…成績あげろ!…親を安心させろ!…。子供の意思なんて関係無いと言わんばかりにただただ言う事を聞かせる。
しかし、何も知らない純粋な子供はこんな"狂育"を受けてどう思うだろう?この大人達の言う事が聞けない人はどうなってしまうんだろう…社会から阻害されて行き場を失くすんじゃないか?そんな不安が募りに募ったまま学校に通ってしまう。これは極めて当たり前な感性だ。
一方で、こんな狂育受けるくらいなら阻害された方がましだ!!と学校に行く事を放棄し、周りの目を気にせず自分のやりたい事に専念をして楽しむ。この行動に至るのも当たり前だ。
じゃあ両者を比べた時どちらが幸せだろう?当然、私は後者だと断言します。そして100%の人が後者だと断言するはずです!
では何故前者の方が圧倒的に多いんだろうか?それは幸せよりも、死への恐怖によって突き動かされるエネルギーの方が大きいからでは無いかと思う。そして社会から阻害されるという不安や恐怖が死のイメージを拡大させ、その不安によって突き動かされる9割9分が学校に行く。この人達は常に社会から阻害される恐怖を背負って生きてます。しかし、出来ればそんな荷物は下ろしたいに決まってる。けど下ろそうとすると親や先生に怒られて、背負うことを強いられる。何故なら親や先生もその荷物を背負ってるからだ。「俺達大人が我慢して社会から阻害される恐怖を背負ってお前達を育ててるんだ。その誠意をちゃんと受け止めて、共に背負いなさい。」こんな歪んだ思想が今も尚受け継がれているんだなと思うとぞっとする。
そして何より怖いのが、その恐怖を背負った者が大勢集まると。一瞬でも荷物を下ろそうとする人を見ると…『あれ?あいつ…下ろすの?…え?…逃げるの?…皆頑張って恐怖を背負ってるのに…?』と、淀んだ空気が蔓延る。こんな風に少し世間の価値基準から外れた行動を取るだけで恐怖に満ちた視線が飛び交い。「俺だってこんな恐怖抱えたくない!下ろしたいよ!けど我慢してんだよ!お前だけずるいぞ!」とヒートアップする。これがいじめや差別の仕組みではないかと言う事。
こう見ると、この狂育で誰が得をしてるんだと疑問が生まれるが、正直誰も得してない!笑 じゃあ何故誰も得しない狂育システムが未だに蔓延ってるのか…そもそも何を目的に教育と言うシステムが生まれたか…。それは、戦争を遂行する為に人間を叩き潰して軍隊に入るように仕向けるために生まれたシステムであり、戦争は終わったにも関わらずその仕組みだけが生き残り今の教育システムを作り上げてしまった。
そして、戦争の名残から生まれたシステムと言う歯車にしがみついてる者同士でまた争いが生まれる。にも関わらず、システムにしがみついて居れば安定するなどと言う洗脳が人々を動かしている。一番厄介なのが、人間性を失ってまでもシステムにしがみついて成功してしまった人が次世代を導こうとしてるという事。何者でもないシステムの奴隷になってしまってるという事。しかし、子供の感性は極めて豊かで、今正に機械的に動いてるシステムに違和感を持つのだ。その感性豊かな貴重な人材が不登校になる。学校に行かないという選択をするには物凄く勇気がいることだし、今正にもう1度戦争を生み出してしまいそうなシステムを皆で手放そうよと純粋な子供が勇気を出して行動してる。それが不登校児だと言う事!
だから、今不登校の人や学校に行きたくないと思っている人、思ったことがある人(恐らく一人残らず全員が思ったことあるはず)。自分はもしかしてダメな人間なのかもしれないなどと思わずに是非誇りに思って欲しい。不登校児の未来は明るいという事をそれぞれが認識して欲しい。
そして、決して他人事では無いという事を認識して欲しい。
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